たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その二

たまご屋爺さんの独り言 歎異抄 その二

 この本は親鸞の弟子唯円が、先生の教えが誤って世間に伝えられいることを激しく嘆き、「本当は先生がこう云われたのだよ」と書き記したものだ。

親鸞唯円が活動していた時代とは一体どんな様子であったのであろう?
記録としては同時代、鴨長明が書いた「方丈記」がそれを生生しく記している。
養和の大飢饉あり、京都の大火災あり,地震まであり、、、と大変な時代であった、その本を読んだ時身の毛がよだつようだった。

人々は狼狽え、救いを求めていた。
そのような時代に一体多くの人々は何を心の支えとして生きていたのであろう。

当時、日本の仏教は天台宗真言宗が主流であり、これは「自力」で厳しい修行に耐え仏の悟りに達するもので誰でもその境地に達すのは困難であった。
ましてその困難な時代に一般の人たちが救いをそれに求めることは難しい。

そこで法然またその弟子の親鸞は、誰でも出来る只「南無阿弥陀仏」唱えるだことで阿彌陀佛の慈悲の力「他力」で救われると説いて浄土宗、浄土真宗を起こした。

この新しい宗派は民衆に爆発的な支持を受けた、危機感を感じた旧宗派は時の権力者に頼み二人をそれぞれ四国、越後へ追放したほどだ。

仏教の俄勉強で申し訳なし、次回本題の予定。