たまご屋爺さんの独り言 スクエアダンスを始めた頃 20210110
コロナの首都圏緊急事態宣言のためただでさえ家に閉じ籠っていた爺さんは、今まで家の近くで開催されていたいろいろな会合まで中止になってしまった、今から15年以上前に始めた週一回のスクエアダンス例会もそうだ。
有難いことに時間があるので古い記録を見ていたら、2005年1月に書いたものがあった。
以下
23/January/2005 富士雄記
ぶらりぶらり通信 Acey Deucy
Acey Deucy?(ダンスの型の一つ)
昨年の一月、カミさんに連れられてスクエアダンスを始めてから丁度一年になる、途中何度も止めたくなったが何とか今でも続いている。脳梗塞のリハビリになるとの殺し文句に乗せられて始めてみたが、これが結構きつい。それは毎週日曜日夜、公民館で行われるのだが、参加の皆さんにとっては楽しいであろうが私にとっては魔の日曜日である。
ご存知のごとくスクエアダンスは8人のチームダンスである。コーラー(音頭とり)の掛け声に従って即座にその踊りの形を思い出しそれを踊らねばならない。それもリズムに乗って……。
当初これは歩くだけの簡単なダンスと馬鹿にしていたが、とんでもないことで、仲間の皆さんについて行くのに毎回必死である。10分も踊ると冷や汗か脂汗か知らないけれど、汗ぐっしょりとなる。
物覚えの悪い私は皆さんについて行くには予習復習が必要である。それ無しに参加するとまさに魔の日曜日となる。私がずっこけると、そのチーム全体が駄目になってしまう。他のチームがすいすい踊っているのに私が原因で壊れたチームは仕方なしに元の体型に戻って待っている。気のせいか仲間の冷たい視線を感じる時である。あとで聞いてみると、誰でも初心者の時には同じ経験をしたそうである。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んだ一年間、ところでリハビリの効果はあったのであろうか。この次皆さんにお会いした時に判定してもらうこととしよう。
了