くしびき夏祭り

今年は第40回目の”くしびき夏祭り”である。実行委員長の佐五郎さんは張り切っている。彼は開拓者の二世であり、ここで生まれ育った生粋の”くしびきっ子”なのだ。

戦後しばらくこの地区は、とてもお祭りをやっている余裕がなかった。近くの町村で行われるお祭りを見て、ここで育った子供たちはどんなに羨ましく、又口惜しく思ったに違いない。

今から40年前、開拓地での生活も落ち着いた頃、地区の有志によってこの夏祭りは始まったと聞いている。丁度同じ頃私は相模原市の養鶏場がニューカッスル病にやられ、新天地を求めて櫛挽開拓地に出てきたばかりであった。その時以来このお祭りとの付き合いは続いている。戦後の開拓地であるから、ここにはまだ神社もお寺さんもない。このお祭りを支えているものは縁あって同じ開拓者として苦労した仲間意識だけだ。近くの旧村にしたって何百年か前、新開墾地の時はそうであったのだろう。やがて余裕が生まれ、おらが村にもお祭り、神社が欲しいとなったに違いない。

不思議なことにお祭りにはその準備を含めて多くの人が集まる。踊りの練習から櫓つくり、その飾りつくりなどみんな手作りだ。準備のため数日間皆で夜なべをする。これがまた楽しい。お祭りには名物男がつきものだが、櫛挽にも健ちゃんがいる。とにかくお祭りが好きなのだ。健ちゃんがいないと”くしびきの夏祭り”は始まらない。

我が家も祭りの数日間は落ち着かない。倅どもは秩父囃しや、よさこいソーラン踊りの常連だし、カミさんはフォークダンスのおばさん軍団の一人であり、オヤジは老人会の世話役ときている。いつのまにか我が家もお祭り一家となっていた。