”狂犬”の十周忌

”狂犬”というあだ名を持つ友達がいた。長距離競争がとてつもなく強く、何にでも喰いつていくので、このような異名がついたのであろう。彼とは縁があって中学・高校・大学まで同じであった。彼の家は横浜の保土ヶ谷区で山羊を飼い、その乳をしぼって売っていた。私の家は神奈川区にあり、鶏を飼って卵を売っていた。中学・高校はキリスト教系一貫校で横浜市の中心部にあり、その学生は商店をはじめ街の子が多かった。そんな訳か”狂犬”とは妙に気があった。

都下府中市にある大学の獣医科に彼は進み、私は農芸化学科を選んだ。卒業後彼は横浜市に奉職し、市民の衛生業務に腕をふるった。一時期は市の保健所で野犬の取り締まりをしたこともある。かつての中学・高校の悪ガキどもは”狂犬”が狂犬を取り締まるなどと囃し立てた。残念なことに定年を直前にして最愛の奥さん子供さんたちを残して病に倒れ逝ってしまった。

先日、没後10年目に同期生後輩が十数人集まり墓参りに行き、彼の奥さんを交えお寺の会館で食事をした。話がはずんでしばらくしてから誰言うとなく賛美歌を歌うことになった。ここはお寺さんの施設であるが、事情を話したらこころよく了解してくれた。かつての悪ガキどもも素直に賛美歌を歌える年齢になっていた。