日本たまご事情 Bob Sparboe 亡くなる その二

ミネソタの鶏友Bob Sparboeの急死に驚き、彼の世話になった息子が急きょその葬儀に参列することになった。連絡があった二日後が葬儀であったが、運良く飛行機の空席を見つけそれに間に合った。
出かける前、息子にアメリカでの葬儀のしきたり等について聞かれた。服装は?香典は?、、、私にはさっぱり判らない。オヤジが頼りにならないとわかって、急いで自分で調べたらしい。ともかく家を飛び出していった。

Bob Sparboeはヒヨコのセールスマンからたたき上げで、全米でも十本の指にはいる産卵養鶏グループをつくり上げた男だけにその付き合いも広い。息子の話によれば葬儀は二日間、二ヶ所の教会で行われたという。初日はミネアポリスの教会での儀式、二日目はそこから100km離れたBobの本拠地、リッチフィールドの教会で儀式があり、その後墓地で埋葬が行われた。

いずれの教会でも儀式の始まる約2時間くらい前から人々は集まり遺族に挨拶をし、久しぶりに会う人々で賑やかだったという。やがて儀式の時間が来て、教会の席につく時、なんとBobの好きであったJazzのナンバーが祭壇の前で生演奏されていたそうだ。

儀式は型どうり進み、最後に業界及び遺族を代表して挨拶があったという。いずれもその話のさなか、巧まずしてジョークがあり、会場は笑いにつつまれたという。息子は肝をつぶした。「所変われば、品変わる」、文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、それを聞いて私も正直驚いた。

埋葬の時、ライフルの空砲が撃たれた。Bobは朝鮮戦争の時、陸軍兵士であったので、その儀式にのっとり行われたという。

今、その時のライフルの薬莢(やっきょう)が私の机の上にある。
Bobは逝ってしまった