怖い話

「飢饉日本史」中島陽一郎著という本を再読した、実はこの本は8年前に購入して読みかけ、あまりにも怖い話なので途中で放り出したものである。
著者はその事実を丹念に古文書をたどり、飢饉がなぜ起き、それが起きると極限におかれた人間はなにをするかを資料にしたがって述べている、特に資料的にみてしっかりしている近世三大飢饉(享保天明天保)を重点的に取り上げているが、これらは1732年から1839年の100年間に起きたことである。

三大飢饉の当時、日本の人口は2600万人前後と推定され、それが大飢饉のたびごとに急激な人口減に見舞われている、飢饉による餓死者とそれに続く疫病の発生によって享保天明の時はそれぞれ4%、天保の時で2%の人口減があったと推定している。
当時の日本の食糧は勿論完全自給であった訳だが、常に自然災害に振り回され、食糧事情は安定しなかった、この飢饉のあった江戸時代、国民の大多数が農業に携わっていた訳だが、日本の農地が養える人口は3000万人を超えることはなかった。

現在、おなじ国土に江戸時代の約4倍の人々が住んでいるのだが、どう考えたって国内の農地だけでこれを養えない、つまり定員オーバーなのである、国内で食糧を自給出来ればこれに越したことはない、それは物理的に不可能だ、とすれば外国の農地に頼らざるを得ない、日本人の選択した道は得意な物作りを生かしこれを輸出し食糧は外国から買うことであった。
たとえ食糧を自給できる農地があっても安心は出来ない、農産物を輸出するほど豊かで広大な農地をもつオーストラリアでも近年大干ばつにより小麦の生産が半減した、今起きている食糧原料の暴騰の一因でもある。

自然災害による食糧不足の話は過去のものではない、形を変えて今でも世界中で起きている、いたずらに日本の食糧自給率の低さを嘆くのではなく、開き直ってむしろ食糧を海外に分散して依存しているほうが安全であるとも考えられる。
本当の食糧危機は日本人が物作りの智恵も働く気力も失って、世界中から相手にされなくなった時に来るのであって、食糧自給できる土地を自国で持つかどうかではないような気がする。