1979年中国旅行記

090830栗の実

1979年中国旅行記

ぼつぼつと身の回りのものを整理しようと心がけているが、とんとこれが進まない。先日、長年溜め込んだ資料を片付けようと物置小屋に入ったはいいが、これがなかなかはかどらない、取りあえず残す資料だけを選びあとは全部捨てることにした。生来の貧乏性で、これは後でなにかの役に立ちそうだと思うと取っておいた、そうこうしているうちに小屋はゴミの山になってしまった。

片付けているうちに面白い資料など見つかると、夢中になってこれを読み出してしまう、仕事はちっともはかどらない、これを何度も繰り返している。その日ゴミのなかから一冊の大学ノートが出てきた、表皮に「1979年中国旅行記」とある、かなり分厚いノートにびっしり書き込まれている、それを読み出したらもう止まらない、その日、片付けはそれでおしまい。

今から30年前、生まれて初めての中国旅行だっただけに、強烈な刺激を受けたらしく事こまかに記録してあった、北京の天安門広場では男も女も紺またはカーキ色の人民服人民帽を身につけ、娘さんたちは化粧せず「おかっぱ」か「お下げ」の髪型である、大型のトラックは見かけるが乗用車はほとんど無く自転車通勤で道路は川の流れのようだとも書いてある。

当時中国旅行は自由でなく「日中農交神奈川県友好訪中団」といういかめしいチームを編成し、その一員となって行き中国側は彼らの見せたいところだけを案内してくれた。農業関係者の交流が目的であったが、学校、病院、機関車製造工場など自慢の場所を見せ、最後には必ず「これは毛沢東主席のお陰です」との挨拶があった。当時北京市内では沢山の地下壕が作られ、将来予想されるアメリカとの戦争に備えていたし、その場所にも連れていかれた。

私の訪ねたこの年を境として中国は「改革開放政策」に大きく舵を切った、以後の中国の変容ぶりはご存知のとおりだ。

そういう訳で物置小屋にあるゴミの山はなかなか片付かない。