たまご屋爺さんの独り言 避難 20220326

ヒカン桜とモクレンの花が咲きそろいました。

 

たまご屋爺さんの独り言 避難 20220326

 

このところ連日TVで放映されるニュースは恐ろしい。

ソ連の侵攻で逃げ惑うウクライナの避難民の人たちのことだ。

特に小さな子供を連れ必死に歩いて国境を越えようとしている姿には泣かされる。

 

私たち80代後半の者たちは日本が第二次大戦中、学童疎開という戦禍で危険な都市部からより安全な田舎に避難し現地の学校に通っていた記憶がある。

 

日本が終戦の日(1945/08/15)私は小学校5年生であった、当時私の両親は横浜の農村部で採卵養鶏をしていた。

終戦直後、アメリカの進駐軍が上陸して日本人を殺戮するという噂が拡がり、それを恐れて父は母を残し我々子供たちとともに幌馬車ではなく幌付きの牛車で野宿しながら自宅から約100Kmほど 離れた東松山市の知り合いの物置小屋に辿り着き子供たちを避難させた。

 

父は子供たちを預けてすぐ横浜に戻ったが、その時一番喜んだのは牛車を引いていた牛の「チャメ」でこちらへ来た道筋を覚えていて、来るときにはあんなに嫌がっていた同じ道を帰る時は教えなくても自分でスイスイと歩いて横浜に戻ったのだと良く子供たちに話をしてくれた。

幸い現在ウクライナで起きている殺戮も日本では無く数ヶ月後には私たちも母親の元に戻ることが出来た。

 

今は一刻も早くウクライナでの戦禍が収まることを祈るのみ。

 

櫛引(深谷市)にて

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