たまご屋おやじの独り言 2002年9月

29/September/02

アントワープの変なコンサート(5)

アントワープのフレッド・ヴァン・ホーフが初めて私の岡部町に現れたのはもう15年前になる。アコーディオンひとつ担いで無人用土駅に降り立ったのを鮮明に覚えている。これが変なコンサートの始まりだったからだ。彼はピアノを弾けば興奮のあまり、やおら立ち上がりグランドピアノの弦をかきむしり、慣れないお客は肝をつぶした。

このアントワープの三日間のコンサートを取りしきるのはこのフレッドである。場所はZuidpool劇場、アントワープの中心街からちょっと離れたうら淋しい石だたみの通りの一角にある。もう夕方のコンサートが始まる時間だとl言うのに表の通りはほとんど人通りがない。

時間どうりにコンサートが始まらないとイライラするのは日本人の悪い癖だ。ここはヨーロッパなのだと自分に言い聞かせる。定刻を30分も過ぎたであろうか、それでも人は集まってきた。およそ150人くらいになったところでフレッドが始まりを告げた。ここは劇場といってもまあ倉庫みたいなところで、観客の椅子もパイプでくみ上げている。お客の服装もまちまちでネクタイをしめたのは殆ど見かけない。

夕方の8時ころから始まったそれは夜中の12時を過ぎても終わらない。中休みには地下の穴倉みたいなところでワインやビールなど思い思いに飲んで楽しんでいる。
 
ここはヨーロッパの若手前衛音楽家の登竜門といわれるだけあって演奏はホットである。隣のカミさんの顔を覗くとウットリとして聞き入っている。こちとらは12時を過ぎるころ地下室のビールがきいて、演奏中デカイいびきをかいてカミさんに突っつき起こされた。

29/September/02

アントワープの変なコンサート(4)

アムステルダムから電車で2時間少々、ベルギーのアントワープにつく。今回旅の主な目的はここでのコンサートに参加することでした。

もう15年まえになりましょうか。カミさんが変な音楽に取り付かれて自宅の倉庫でコンサートを始めました。素人の"怖いもの知らず"と言うか、それでもしぶとく、なんとか15年間継続しておりました。私にはいまだに馴染めないのですが、いわゆる現代音楽、前衛音楽、フリージャズ・・・といったジャンルのものです。

この世界はあまり一般受けしないものですから、世界中でもプロとして飯を食っていけるものはそう数多くないのです、そりゃ−そうでしょう、自分の好きなことだけをやっていて、お客に迎合しないのですから。ですから演奏者はどちらかと言えば皆貧乏なのです。

ところが世の中良くしたもので、その純粋さというか、自分の世界にのめり込んでいる姿がたまらないと言って少数ではありますが、マニアのサポーター達がいるのも事実です。

彼等、彼女等が日本に演奏旅行にくるたびにカミさんはどのように交渉するのかわかりませんが、割り勘で岡部町の"EGG FARM"に来て貰い、コンサートを続けていたのです。15年間継続すると言うことは恐ろしいもので、ちょっとオーバーに言えば、その世界のプレイヤー達にとって「JAPANのEGG FARMで演奏したか?」が合言葉となりました。いつのまにかカミさんは「EGG FARMのママ」と呼ばれるようになっていたのです。誰もその世界では私をパパとは呼んではくれません。

その付き合いのあるプレイヤー達が、このアントワープに世界中から集まって三日間連続でコンサートをやるのだという。 私はあまり気乗りがしなかったのですが、カミさんの興奮ぶりに仕方なしについて行ったのです。

29/September/02

ゴッホの"星空の夜"(3)

ファン・ゴッホは奇妙な画家である。生きている時にはその絵は誰にも評価されず、一枚もその絵は売れなかったという。それが今ではアムステルダムの特等地に独立して美術館をもち、連日世界中からその絵を見たくて人々が押し寄せる。何を隠そうこの私だってその"おのぼりさん"の一人なのだ。

このぶらぶら旅をなにげなく計画しているとき例会で梶谷先生に会った。どいうわけかゴッホの有名な"星空の夜(Starry Night)"のことを話された。この絵を見て感激した少女が作った詩の話であったかと思う。それは星空がまるで台風の渦のように輝いている奇妙な絵であることを思い出した。なにせこちとらは左脳が駄目になったかわり右脳はやたらに元気がよい。こういう話にはすぐ反応する。"よし、それを見に行こう!"。 
 
そいうわけで半日かけてゴッホ美術館を丹念に見てまわったがそれがない。お粗末にも私は"星空の夜"はてっきりそこの美術館にあると信じ込んでいたのだ。あとで判ったことだがそれはニューヨークの現代美術館にあるそーだ。やはりこのぶらぶら旅はちょっと抜けている。

29/September/02

電脳持参,アントワープアムステルダム,ネット事情(2)

生まれついての貧乏性は直らない。夏休みで遊びに来ているのに重いノートパソコン(PC)持参ときている。同行のカミさんに言わせれば"それがあなたの病気なのよ" とあきれかえっているし、こちとらは"なに言っていやがんだ"と思っている。

私のやられた脳卒中の後遺症はやっかいだ。ある記憶回路と思考回路が抜け落ちてしまっている。奇妙なことにどの部分が駄目になったかその場になって見ないと分らない。そこで電脳の出番なのだ。中国は漢字の国だがコンピュータのことを電脳とはよくぞ名付けたもんだ。私の場合は駄目になった脳を補う、まさに"電脳"なのである。世界中どこに居ようがインターネット環境に繋がればしめたものである。もう自分の事務所にいるのと同じになる。有り難い世の中になったものだ。

という訳で遊び半分、スケベ根性半分で行く先々でネットにチャレンジした。 いままでアメリカに比べてヨーロッパはネットの世界でどちらかと言えば保守的であったが、今回は違っていた。訪ねた先々のごく普通のホテルでも簡単にネットに繋がるのである。電話料金は勿論現地市内料金である。ホテルによっては部屋では繋げないかわりネット専用の部屋を用意し電話料タダでサービスしているところもある。こちらは遊び半分でいい気分になっていたが、部屋の外で自分のPCをもってウロウロと順番を待っている企業戦士がちょっと気の毒になった。

たまご屋おやじの独り言 2002年9月

29/September/02

アムステルダム中央駅にて見事財布を掏られるの巻(1)

夏休み近況報告。
病気をしてから一年少々、家でぐたぐたしていてもしょうがないから旅にでた。かかり付けの樋口先生の言によればこの病気はそう簡単に良くならんから、あとは自分の好きなことをして気長に養生するしかないと言われる。好きな事をしていると免疫力が高まり病気が逃げてゆくのだそうだ。そんなわけでカミさんづれで旅に出た。

10年に一度オランダで花の祭典があると言う。アムステルダムにはあのゴッホの美術館があるし・・・。それにカミさんの変な音楽のコンサートに付き合うのもなんとか我慢が出来そうだ。

病み上がりでふらふらとアムステルダム中央駅で列車に乗り込もうとしたら、早速かの有名なスリどもに狙われた。3人組みのデカイのがぴったり私に張り付いた。お尻のポケットの財布はボタンをかけ乗る前に確認した。ところが乗り込んでみると見事に掏られている。即座にすぐ後ろのデカイ奴の右手にかけてあったジャンパーを跳ね上げたところ右手に私の財布を握っていた。

すばやく無言でそれを取り返した。ラッキーなことにスリどもはその場を黙って逃げ出した。こう書けば武勇伝になるが、たまたま運が良かっただけなのだ。もう数秒遅ければ財布は仲間に手渡され、事件はうやむやになっている。病み上がりの年寄りと侮ったのが敵の油断であった。

なにはともあれこんな事があってから、"結構俺もやれる!"と変な自信がついた。