たまご屋おやじの独り言 2003年10月

たまご屋おやじの独り言 2003年10月


25/October/03

ぶらりぶらり通信 船でぶらりぶらり?

ひょんな事からクルーズに乗ることになった。カ州、サンディエゴに住んでいるカミさんのいとこ(従姉)夫婦Mr&Mrs.Nakazawaから誘いがあった。

彼は約50年まえ、トランクひとつでアメリカに渡り苦学して大学を出て現地の企業に就職した。以来頑張って二人の子供を大学にやり卒業させた。それぞれの子供たちは結婚独立し孫も3人になった。途中、日本に帰るべきか悩んだ時もあったようだが、子供達がアメリカ人として生きていくと決めた以上、その親たちも腹を括った。彼は75歳になる筈だが、どう見ても60歳そこそこである。病み上がりの私のほうが老けて見える。彼は仕事をリタイヤしてから10年間、いわゆるアメリカ人のハッピィリタイヤメントの生活を送っている。  

そのひとつがクルーズである。今回はハワイ諸島をゆっくりまわって後、メキシコまで航行し陸路サンディエゴに戻る10日間の船旅だった。道中、時間があったのでじっくり"二人にとってのアメリカ"を聞くことができた。カミさんは私のおふくろを連れて日本のクルーズ"飛鳥"の経験があると威張ってるが、私には初めての経験である。かくして初体験クルーズの珍道中は始まった。

26/October/03

ハワイのタマゴ

先日ハワイ諸島を訪ねる機会があった。のんびりする予定であったが土地のスーパーマーケットに買い物に行くと、ついついタマゴ売り場が気になった。

ご存知のごとくハワイ諸島の経済はいまや観光でなりたっている。島を巡るうち、以前は盛大に運営されていたであろう廃墟になったサトウキビの製糖工場をいくつも眼にした。以前はサトウキビの製糖は島第一の産業であった。

明治の初期から日本人はここのサトウキビ畑の労働力として数多く移民した。激しい労働と慣れぬ酷暑との戦いに志半ばで病に倒れ多くの若者が生命を落とした。仲間の日本人がそれを不憫に思い日本式の簡単な墓を建てた。ハワイ諸島にはこれらをいたるところで見かけた。それも多くの墓が遠く日本を望む西に向いて建てられていた。

さて話をハワイのタマゴに戻すが、ほとんどの食料品をアメリカ本土から移入するため物価は本土に比べ高いが、それでも日本のそれらに比べれば格段に安い。タマゴ売り場にはアメリカ本土産のものと、ハワイ産のものが区別されて売られていた。勿論、ハワイ産のタマゴの方が高い、約20%ほど高かった。気になったことは、Organic Eggs と称して平飼いのタマゴがかなり大きなスペースで2倍の値段で売られていた。スーパーマーケットの利幅をとる戦略がみえみえであった。

4/October/03

ぶらりぶらり通信 櫛挽ヶ原 玉竜(たまりゅう)

私の住んでいる櫛挽開拓地にはとても面白い人がいる。地区の区長をされた神岡典冶 さんもその一人だ。地元出身の開拓者で私は"植木屋のご隠居"と呼んでいる。食うや食わずの開墾時代を頑張りぬいて、今や仕事を息子さんにわたし引退の身だが、根っから働き者のご隠居はじっとしていない。70歳をとっくに超えたのに庭用の"玉竜"の根分けに忙しい。

この開拓地では植物、植木のことに関してはご隠居の右にでるものはいない。私はわからない事があるとすぐ飛んでゆく。なんとこのご隠居は若いときから開拓地防風林の植生を記録にとっていた。そのノートを見せてもらった。昼間の激しい労働でクタクタになった中でのそれである。身体に余裕のできたときに趣味でやるそれとは訳が違う。ご隠居をみていると、筋金入りの植木職人は仕事と趣味が一緒になっているようだ。

近くの水路に泥が落ち込まないよう、"玉竜"を植えるため仕入れに行ったらご隠居 はやけに機嫌が良かった。

3/October/03

高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)防疫マニュアル

10月になって農水省よりようやく「高病原性鳥インフルエンザ(HPAI)防疫マニュアル」が出た。各県の家畜保険所にすでに配布ずみで、希望者にはコピーがもらえると思う。早速読んでみたがこれがなかなか難しい。もっとも専門職の人達むけのものであるから無理も無い。 

埼玉県では既に家畜保険所の鴻巣泰先生にAIの話を二度ほど一般養鶏家むけにしてもらった。今回のマニュアルについても、噛み砕いて話をしてもらうことになりそうだ。鴻巣泰先生はすでに全県下の養鶏場の羽数と位置をPC上の地図にプロットする作業を終えている。いざAI発生となるとたちどころに移動禁止の養鶏場がわかるようになっている。  

あって欲しくはないが、いざAI発生の場合、この防疫マニュアルによって国と県の対策と処置はどうなっているか充分理解しておく必要がある。現在のところこの防疫マニュアルはNet上では見ることはできないが、そう期待したい。

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