隣のミツ婆さん

ここ櫛挽開拓地に移り住んでからかれこれ40年、私ども夫婦にとっては第二の故郷であるし、5人の子供たちにとっては大事な生まれ故郷である。ここは戦後の開拓地であるから、ここでは誰でも60年以内の歴史しか持たない。

開墾をしながら隣近所で助け合い生きてきた人たちには独特な連帯感がある。畑、家畜の仕事に忙しいなか地域を支えていくためには色々な世話役が必要だ。若い時には学校のPTA役員、少したつと作物ごとの農事世話役、農協の役員、自治会の役員、お寺神社の役員、老人会と続く。まわりの農村では歴史があるから、比較的時間に余裕のある年寄りがいるので、地域の世話役も引き受けてくれるが、開拓地ではそうはいかなかった。皆、若いうちから世話役をやらされ、飛びまわざるをえなかった。こんなことが仲間意識を生むのであろう。

先日、とても世話になった隣のミツ婆さんが亡くなった、93歳であった。前日までピンピンと元気で、それこそ自宅の畳の上でコロリと亡くなった。まさに手本にしたいような理想的な死に様である。このところ開墾で苦労された入植初代の人たちが次々といなくなってしまう。淋しいかぎりだ。

私に最後の老人会の世話役がまわってきた。世話役はなんでも引き受ける主義だから喜んで引き受けた。今まで休みなく働きづめできた開拓第一世代の人たちと、なにか楽しいことはないかと悪巧みしている。