別れ

ゴールデンウィークの始めに義弟を亡くしてから、二週間のうちに都合3回の葬儀に参列した。
淋しい話であるが、私たちの年齢になるとその機会が多くなる。
一人は仕事で付き合いのある建設会社の社長で現役バリバリの59歳であり、もう一人は親戚筋の101歳になるお婆さんであった。
幾つになっても別れはつらいが、やはりまだ若いときのそれは尚更である。

まず葬儀に参列する人たちの雰囲気がちがう、若い人の場合会場全体が打ちひしがれていて声も出ない、現役である場合多勢の友人と仕事関連の人たちが集まってくれる、なおさら痛ましさがつのる。
これが100歳を超えると、不思議なことに会場は和やかでさえあり、そこここに笑い声さえおこる。
だが100歳を超えて長命の人は少なく、その友達の人たちはほとんど来てくれない。

自分の死については考えるのが嫌であるから、ついつい真剣に考えようとしないし、先送りしてしまう。
先日、息子が「親父の葬儀はどのようにしたら良いか、その希望を言っておいてくれ」と面と向かって言われ、正直ギクリとした。
だれもが望んでも100歳まで生きられるわけでもない、いずれお迎えが来ることが分かっていても、自分はまだ先だと思っている。

こう周りで人が亡くなると、息子の心配もあながち無視することも出来ない。
気にいらないが、パソコンにむかい自分の葬儀次第を書き始めた、いろいろな思いが交錯してちっとも文章がまとまらない。
仕方がないので、これだけはやって欲しい、これだけはやって欲しくない、ことを箇条書きにした。
それでもまとまらないので、息子にそれを渡すのは先送りにしてある。