お茶を飲む

朝5時ごろ起き出して一人でお茶をいれる、あたりはまだ真っ暗だ。

若いころは、まず一仕事してから朝飯となりそれからカミさんの入れてくれたお茶をあわてて飲んで又飛び出していった、お茶の味などどうでも良かった。

変われば変わったもので最近は先輩たちにならって朝のお茶を飲む時間を大切にしている。

自分でお茶をいれるのだが毎回その味が違う、同じお茶を使ってもどういう訳か違う、不思議なものだ。

お茶を飲む前に口をもぐもぐさせて「祈り」の言葉を唱える、まだ洗礼を受けたばかりだからうまくいかない、自己流にやってみるとお願い事ばかりで気が引ける。

一年ほど前から新約聖書をボツボツと読みはじめていた、それも夕食後であるからたちまち眠気に襲われてちっとも頭に入らない。

カミさんは夜型でいつまでも平気で起きているが私は朝型で夜9時を過ぎると椅子に座っていてもこっくりこっくり始める、まるで子供のようだ。

今年から作戦を変えて朝食後たとえわずかでも読むようにした。

比較するのはおかしいが、日本を代表する古典「源氏物語」が一千年、この聖書は二千年間絶えることなく読み継がれてきている。

私は単純だからそれだけで驚いてしまう、キリスト教の信仰の書という前に世界を代表する古典としての興味がわく。

朝一番でお茶を飲むと頭がすっきりするせいか、二千年前の古典が少しは頭に入るようになった。