窯ぐれ三代

都内で業界の新年会があり、それが早く終わったので菊池寛実・智美術館を訪ね、「加藤唐九郎・重高・高広 窯ぐれ三代展」を観た。

「窯ぐれ」の意味がいまひとつわからないので、出品目録書を買い読んでみると、唐九朗の言葉として『すこし前までは尾張、美濃では製陶業に携わる者は皆「かまぐれ」と呼んでいた、もともと渡り職人のことだが、決まった職場を持たないものだけでなく、窯屋職人の修業のひとつで、知らぬ土地の知らない窯屋を回って、腕試しをして来るのだから、腕に自信を持ったやつでないと「かまぐれ」に出掛けて行かなかったし、いっぺん「ぐれ」て来んと一人前では無いと言われていた』とある。
私は特別陶器に興味があるのではなく、むしろ唐九朗をはじめ息子、孫と三代にわたってどんな物に「ぐれ」ていたのか観ておきたかった。

比較にならない話だが、同じ仕事を三代続けていることでは我が家も同じである、唐九郎流にいえば「鶏バカ三代」となるのであろうか。
私の同業者を見渡してみると、養鶏の仕事を三代続けている人はほとんどいない、たしかに頭の良い人たちはさっさとこの仕事に見切りをつけ、新しい仕事へ転進している、その後それらがうまくいってるかどうかは知らない。
二代目の私が親父の仕事をなんの疑問もなく引き継いだのは、長男であったことと、当時少しでも自分の家で仕事をしていれば、それを長男が継ぐのは自然なことであった。
三代目にあたる私の息子たちも、「この仕事をやれ」と言ったわけでもないのに養鶏の仕事をしている。

唐九郎の孫、高広が面白いことを書いている、『「かまぐれ」とは「はぐれ者のやきもの師」、つまり、地位や名誉はないが何かの支配下にならず、風のように自由な陶工、、、、』とある、そして『もとより守るべきお家芸があるわけでも、窯を継ぐ義務があるわけでもない、やりたい者がやりたいことをやってきたまでである』。
展示品の凄い陶器もさることながら、唐九朗三代を流れる「かまぐれ』の心意気に強く打たれた。