新撰鶏卵 新鮮鶏卵

横浜市内で四代にわたって続いていた鶏卵問屋Y店が店を閉めた。
私どもとは40年以上にわたる取引があり残念なことである。
そこの親父さんから連絡があり、店を片付けていたら昭和初期、Y店の鶏卵についての資料が出てきたから見に来ないかとのことである、私は喜んで飛んでいった。

昭和初期といえば鶏卵問屋Y店の最盛期であった、今では考えられないがY店は鶏卵の販売だけで当時巨大な財産をつくった。
店を現在横浜市役所のある市内でも一等地に構え、大きな商売をしていた。
なにが利益を生み出したかというと、他社に先駆けて中国鶏卵の輸入を手がけていたのである。
当時日本の養鶏は充分に発達しておらず、価格競争で輸入中国鶏卵に負けていた。
大正8年(1919年)物価高騰に苦慮した日本政府は鶏卵その他の輸入関税(鶏卵は25%)を急遽撤廃した、以来怒涛のごとく中国鶏卵は殺到し国内の三分の一を占めるに至った。
驚くことに大都市の鶏卵はほとんど中国鶏卵で占められていた言う、この機会に乗じてY店は頑張ったものと思われる。

Y店の親父さんから一枚の写真を見せてもらった、昭和3年(1928)に撮られたY店の様子で店の前には20人前後の社員と鶏卵の箱がうず高く積まれていた、よく見ると箱には新撰鶏卵と書いてある、不思議に思い訪ねると当時は新鮮鶏卵ではなく新撰鶏卵であったと言う。
これには訳がある、当時零細な農家養鶏から鶏卵は集められ都会で販売されるには日数がかかった、日本国内でもそうであったから中国鶏卵の場合はなお更であった、箱に腐敗卵の含まれるのは当然のことであった。
Y店のように都市の鶏卵問屋は仕入れた鶏卵箱の中から如何に腐敗卵を抜き出すかが腕の見せどころであった、つまり新しく撰び直した鶏卵であったので新撰鶏卵 、正直といえば正直である。

一枚の写真が物語る時代からそれは大きく変わった、現在日本で消費される鶏卵は約90%は国産である。
今日本の消費者は鶏卵の新鮮度について世界一うるさい、腐敗卵が一ヶ含まれていようものなら大変で取引停止になりかねない。
刺身など生食の食文化がそうさせるであろうか、この食文化が廃れないかぎり国産の鶏卵が生き残れるチャンスがある。