たまご屋爺さんの独り言 「愛鶏園養鶏事始め」② 20220115

 

何故愛鶏園初代虎松が採卵養鶏を始めたかを調べてみる。

1900年(明治33年)生まれの父虎松は横浜の農村部で14代続く農家に産まれた。

次男坊であったため15才の時東京日本橋の大きな金物店に奉公に出た、以来15年そこに務めたが1923年(大正12年関東大震災のため店は壊滅した、虎松の命は運良く助かったがその復興のため無理をしたためか肺病となった。

 

実家に戻り療養していたが当時肺病は若者にとって不治の病と云われ恐れられていた。

ただ身体に栄養のあるものを摂り身体を休めるしかなかった。

虎松の母親は鶏を飼っていた農家を回り卵を集め息子に食べさせた、そのせいか判らぬが虎松は運良く健康を取り戻した。

当時卵は貴重品であり、それこそ病気にでもならないと食べさせもらえなかったと聞く。

 

当時鶏の飼育は農家の副業として庭先で数十羽放し飼いされていたのがほとんどで、雛は母鶏孵化されるのが多かった。

父はその雛を10羽譲ってもらい湯たんぽで母鶏の代わりに育て成鶏にして卵を生産し自分で食べること出来たそれは1926年ことだった。

 

虎松の身体もやがて回復し、東京で磨いた商売感覚からこれは一生をかけても悔いのない仕事になると考え愛鶏園はスタートした。

櫛挽(深谷市)にて

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