ヘボン在日書簡集

ヘボン在日書簡集


私が生まれてから高校生活まで生活の中心は横浜市であった、その後府中市相模原市、そして現在は深谷市でここが一番長くなるし、終の棲家とする腹を決めた。仕事を始めたのが相模原時代であるがここで結婚し子供たちが生まれた、深谷市で生まれた者たちを合わせて5人の子供たちにとっての小学校は岡部町(現在は深谷市)である、私の生まれ故郷が横浜で、子供たちにとっては岡部が生まれ故郷になった。

養鶏の仕事を新しい土地で始める場合、土地を買い鶏舎を建て近隣との折り合いをつけてやっていかねばならない、半端な腰掛のつもりではこの仕事はできない、なんの仕事でも同じ事と思うが、その地域にどっしりと腰を落ち着けその地域の人たちとの付き合いを大事にせざるをえない。

話しはがらりと変わるが、先日横浜海岸教会へ行き話を聞く機会があった、場所は横浜大桟橋のふもとで今はこの地区の一等地にある。今から150年前江戸幕府キリシタン禁制を解き、それまでご法度であったキリスト教が始めて公に宣教出来るようになった、アメリカのプロテスタント宣教師ヘボンヘボン式ローマ字で有名)が中心なって建てたのがこの教会である、私が高校時代その前を何回も通ったことはあるが、教会の中に入り席に座ったのは初めてである。

教会での話しはプロテスタント宣教150年の歴史を中心に当時のアメリカの宣教師たちの活躍ぶりなどの話があり、あとで由緒のある場所のバスツアーがあった、当時ヘボンが住みかとしていた成仏寺、医者でもあったヘボンが診療所を開いていたすぐ近くの宗興寺を訪ねた、お寺にキリスト教の宣教師が住むとは奇妙に思われるが幕府の命令であったそうな。

実はこの二つのお寺は私の生まれた所から近い(あるいて一時間くらい)ので、俄然興味をもった、ヘボンがはじめて横浜にやってきて活動始めたときは丁度親父の父親つまり私の爺さんが近くで百姓をやっていた、この爺さんの記憶はないが婆さんは長命で記憶に残っている。教会で買い求めた「ヘボン在日書簡集」によればその時代の横浜の状況が外国人の目を通して事細かに書いてある。ヘボンが友人に宛てた書簡であるので遠慮なく辛らつにその様子を書き連ねている、そんな訳ですっかりこの本に引き込まれてしまった。

だれでもある年齢になると自分のルーツに興味を持つらしい、遅いほうだが私は今その時期らしい、この本を読んでからまた横浜を訪ねてみよう。