読書

読書

本は最近なるべく買わないようにしているが、それでも昨年一年間で 25冊を越えてしまった。どうしても読みたい本はそこに線を引いたり書き入れたりする悪い癖があるので買わざるをえない。図書館で借りた本もうっかりすると線やら書き込みをしそうになるのでうかうか出来ない、買った本ならば心おきなくそれができる。何年何月何日と読み進んだところまでその年月日を書き入れておく、めったにないことだが読み返した時にいつ頃どんな事に興味を持っていたのか分かり面白い。
たいてい一冊の本を一気呵成に読んでしまうが、昨年は一年がかりでもまだ読み終わらない本がある、ほぼ毎日2-3ページずつ読み進んでいるのだがまだ終わらない。第一今までこのように根気よく続けて一冊の本を読んだことがない、たいてい2-3日続けて読んでみて面白くなければ放り出してしまいあとは二度と読まない。
この私にとっては初めての読書体験となったのは「旧約新約聖書」(1500ページ)である、今まで何度かそれに挑戦したがことごとく失敗に終わっているが今回はどういう訳か続いている。だが初めて読み通しただけでその内容を理解できたかどうかは別問題である、正直なところ私にはますます判らなくなってしまった。
それは当たり前のことでたった一回読んだだけですぐ判ってしまうものであれば、2000年以上も世界中の人たちに読み継がれる訳がない、と自分に言い聞かせている。
はじめに新約聖書から読み進んだところこれを理解するにはどうしても旧約聖書を読まねばならぬとなった、間もなくそれが終わる時になって改めてまた新約聖書を読む気になっている、不思議な本である。
正直云って一年間飽きずに読み続けられる本が自分にとってあるとは思っていなかった、だがそれは自分が知らないだけでいわゆる古典にはそういう力をもった本がたくさんあるに違いない、ある人にとってそれは仏典であろうし、コーランかも知れない。
眼がだんだん悪くなり読める本も限りがある中一冊の本にめぐり合えたのはラッキーである。