爺ちゃんのクラウド

爺ちゃんのクラウド

パソコンを使って文字を書くようになってから10年を超えた。おかしなもので私が脳梗塞のため文字を書くのが不自由にならなければ、そんなことはしなかったであろう、私だって自分の手で自分の文字を書きたい。ところが自分の書いたものが自分で読み取れない、他人様に手紙など書けないので仕方なしに始めたことなのだ。だが私にはこれが幸いした。
続けることは恐ろしいことで、たとえばこの「たまご屋おやじの独り言」なども週一回パソコンで書くとしで年に約50回、10年で500回、「塵も積もれば山」である。最近ではMailでのやりとりなども保存しているから、電子的に記憶されている文字数はいつのまにか莫大になった。
いくら記録をため込んでもそのままでは何の意味もない、宝の持ち腐れにすぎない。ところが一旦電子的に記録されたものであれば、必要な記録を直ちに見つけ出すことが出来る、私の「塵の山」ですらその小さな塵の一つを見つけ出せる。こんなことが出来るのかと私はただ驚くばかり。
私は今まで何度も不慣れや故障のためパソコンに溜め込んだデータを失ったことがある、そのため今では自分のパソコンではなくクラウド(IT用語 雲)にデータを預けてある、このためネットにつながる環境にあれば何処に居てもクラウドのなかにあるデータを使うことが出来る、他人様には塵の山であっても私には宝の山となる瞬間である。
最近はiPadを持っていそいそと出かけるようになった、これがあれが何処えでもわが外部脳を持って歩けることになる、これが自分の脳の一部であると思えばその重さも気にならない。