たまご屋爺さんの独り言 60年 その一

 

 私が見よう見まねで先代からたまご屋を引き継いで60年。

今では三代目がやっているので、先代が創業してから間もなく100年になる。

鶏のおかげで私たち家族はご飯を食べさせてもらっている。

 

ふと私がこの仕事を引き継いだ60年前のことを思い出し、改めてデータをひっくり返してみると驚いた。

 

60年前それは1959年、 日本はまだ貧しかったが戦後の混乱期を過ぎて復興の気力にはやたらに燃えていたように感じた。

 

それでも、この年日本人は一年間に一人当たり88個の卵を食べることができた、それは一個の生卵を兄弟二人が分け合い、どちらが多い少ないで喧嘩になった時代でもある。それが現在(2018年)は333個食べている、喧嘩にもならない。

 

そしてなにより驚くのが鶏の飼育農家数と飼育羽数の激変だ。

 

1959年 全国の採卵鶏飼育農家数は3,879(千戸)つまり一般農家の半数以上が採卵鶏を副業としていたことになる。

それが2019年2月1日の調査ではなんとわずか2,120戸になってしまった。

60年間で凡そ二千分の一に採卵養鶏農家数は減ってしまったことだ。

 

つまり副業ではやっていけず専業でも競争が激しく、鶏卵不況のたびに専業採卵農家も振るわれた。

 

厳しい話だが、このような生き残り競争が世界に通用する鶏卵の品質価格を生み出したとも云える。

 

つづく

 

櫛挽(深谷市)にて

サルスベリ百日紅