たまご屋爺さんの独り言 1960年のこと

たまご屋爺さんの独り言 1960年のこと
1960年、私が24才の時。
アメリカ加州サンフランシスコから北へ車で一時間ほどにある小さな村の養鶏場で、8ヶ月間ほど働いていたことがある。
今から60年前の1960年年といえば日本がアメリカとの戦争に負けてから15年、日本はまだまだ貧しい国であった。
いまの若い人たちには信じられないと思うが、当時1ドルは360円の固定相場であり今のように好きなだけドルを自由に買うことも出来づ、また日本の若い者がアメリカ合衆国を自由に訪ねることも出来なかった。
幸い私は当時、国際農友会第9回派米農業実習生(1960)の一人して全国から集まった盟友55名とともに渡米することが出来た。
当時日本の大卒の初任給(月給)が1万円少々の時、アメリカ人で農場で鶏糞を取り除く労働者の月給が15万円、、、。
スーパーマーケットにあふれる豊富な食品の数々、本物のオレンジュース、アイスクリームの美味しさ、、、。
とにかく貧乏国の日本からやってきた青年たちにとっては、なにもかもアメリカは夢のような国であった。
1960年、日本は貧しかったので私たちはたしかにアメリカの豊かさに仰天したが、だが当時の日本の若者たちには貧しくとも夢があり、意気軒高であった。
今は亡き当時の実習生の仲間石川君の作った歌がある。
三五会音頭 一  (三五=昭和35年=1960年)
熱き声援 翼に乗せて
意気に輝く 若武者だ
華のシスコに カメラが騒ぐ
あの娘ウィンクだ 投げキスだ
サアサ アメリカ 手拍子うって
明日の農業 みんなの夢を
シャンとやろうぜ それ 三五音頭
(平成音頭の替え歌 二三は省略)
現在私どもの農場ではインドネシアから多くの若い農業実習生を預かっている、彼らの頑張っている姿を見るとまさに1960年の私たちの姿に重なる。
櫛挽(深谷市)にて
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